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東京高等裁判所 平成8年(ネ)2394号 判決 1997年1月30日

控訴人(原告・反訴被告) 株式会社陽進堂

被控訴人(被告・反訴原告) 三共株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

控訴人は、「1 原判決を取り消す。2 控訴人が別紙目録記載のロキソプロフェンナトリウムを含有する製剤(商品名「リンゲリーズ錠」)を製造し、販売する行為に対して、被控訴人は登録第一一七三三六二号特許権に基づく差止請求権を有しないことを確認する。3 被控訴人の控訴人に対する反訴請求を棄却する。4 訴訟費用は、第一、二審とも本訴、反訴を通じ被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。

二  当事者の主張

当事者の主張は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決事実摘示(五頁二行ないし四三頁一〇行〔知裁集二八巻二号三二三頁七行目ないし三四一頁一行目〕)のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一四頁九行目〔同上、三二八頁六行目〕の「処理して」を「処理をして」と、一九頁四行目〔同上、三三〇頁四行目〕の「になるか如き」を「になるかの如き」とそれぞれ改める。

2  同二四頁四行〔同上、三三二頁七行〕ないし二五頁二行〔同上、同頁一四行〕を削る。

3  同二九頁二行目〔同上、三三四頁一〇行目〕の次に改行して、「前記のとおり、明細書の特許請求の範囲において、化学物質である新規物質は化合物名あるいは化学構造式によって表示される必要があるところ、本件特許発明についてみると、ロキソプロフェン及びそのナトリウム塩(正塩=無水塩)はその対象物に該当するが、ロキソプロフェンナトリウム及びロキソプロフェンナトリウム正塩とは別物質、別化合物であることに疑いのないロキソプロフェンナトリウム二水和物が本件特許発明の対象物となるはずはないし、本件特許発明が物質特許制度に則ったものである以上、その技術的範囲が、対象である化合物とは別の化合物、別物質であることに疑いないものにまで及ぶことはありえない。そもそも本件特許明細書の発明の詳細な説明には、ロキソプロフェンナトリウム二水和物についての具体的な記載は全くないし、この物質が同定できるような資料の記載も皆無である。」を加える。

4  同四〇頁三行目〔同上、三三九頁五行目〕の「リンゲリース錠」、四二頁七行目から八行目にかけて〔同上、三四〇頁九行目〕の「リンゲリース錠」をいずれも「リンゲリーズ錠」と改める。

三  証拠<省略>

理由

一  本訴請求の原因1(控訴人及び被控訴人は、いずれも医薬品の製造、販売を業とする株式会社であること)、2(控訴人が、イ号物件を含有する原告製剤(商品名「リンゲリーズ錠」)を製造し、販売していること)、3(被控訴人が、原告製剤の製造、販売行為は本件特許権を侵害するものであるとして、その行為の停止を求めていること)、及び、本訴抗弁1(被控訴人は本件特許権の特許権者であること)、2(本件特許発明の特許請求の範囲)については、当事者間に争いがない。

二  本訴抗弁3(イ号物件の本件特許発明の技術的範囲への帰属)について

1  本訴抗弁3(一)(1) は当事者間に争いがない。

したがって、ロキソプロフェンは本件特許請求の範囲に記載された置換フェニル酢酸誘導体の一般式に含まれ、また、ロキソプロフェンのナトリウム塩は本件特許請求の範囲に記載された置換フェニル酢酸誘導体の塩に該当する。

そして、本訴抗弁3(一)(2) (原告製剤に含有されるイ号物件がロキソプロフェンナトリウム塩の二水和物であること)についても当事者間に争いがない。

2(一)(1) 成立に争いのない甲第一号証(本件公報)によれば、本件特許明細書の発明の詳細な説明には、本件特許発明における「塩」に関して、「また、前記一般式Iを有する置換フェニル酢酸誘導体は必要に応じ薬理上許容される塩の形にすることができる。薬理上許容される塩の形としては、ナトリウム、カルシウムのようなアルカリ金属あるいはアルカリ土類金属の塩、アルミニウム塩、アンモニウム塩、トリエチルアミン、ジシクロヘキシルアミン、ジベンジルアミン、モルホリン、ピペリジン若しくはN-エチルピペリジンのような有機塩基またはリジン、アルギニンのような塩基性アミノ酸の塩をあげることができる。」(本件公報四欄一一行ないし二〇行)と記載されていることが認められ、この記載によれば、本件特許発明において、置換フェニル酢酸誘導体を「塩」の形にすることができるか否かは、それが薬理上許容されるものであるか否かという基準により決せられるものであって、その意味では、本件特許発明における置換フェニル酢酸誘導体の「塩」は、薬理上許容される塩の形という限定が付されているにすぎないものと解される。

(2) 本件特許明細書の発明の詳細な説明には、「本発明者等は抗炎症剤の開発を目的としてフェニル酢酸誘導体の合成並びに薬理活性の研究を重ねた結果、前記一般式Iで表わされる新規な置換フェニル酢酸誘導体が抗炎症、鎮痛及び解熱作用を有する医薬として有用な化合物であることを見い出して本発明を完成した。」(本件公報四欄三三行ないし三八行)と記載されていること、「本発明の前記一般式Iを有する置換フェニル酢酸誘導体は薬理試験により、すぐれた抗炎症、鎮痛および解熱作用を示すが、次にそれらの薬理試験の結果を例示する。」(本件公報一〇欄三三行ないし三六行)との記載に続いて、本件特許発明の「抗炎症および鎮痛作用」を薬理試験によって確認した結果を示す表が記載されており、右表には、本件特許発明に対応する薬物として「2〔4-(2-オキソシクロペンタン-1-イルメチル)フェニル〕プロピオン酸」(ロキソプロフェン)の抗炎症、鎮痛についての薬理効果が示され、また、その余の請求項に記載の発明に対応する薬物も、いずれも置換フェニル酢酸誘導体についての薬理効果が示されていることが認められる。

(3) 右(1) 、(2) に認定、説示したところによれば、本件特許発明の対象である化学物質が有する抗炎症、鎮痛及び解熱作用といった医薬としての有用性は、特許請求の範囲において特定された置換フェニル酢酸誘導体の部分に存し、右誘導体の塩は薬理上許容されるものであること、すなわち塩であることによって右誘導体が有する薬理効果自体に影響を与えるものではないとの前提のもとに、本件特許発明における置換フェニル酢酸誘導体の塩は、置換フェニル酢酸誘導体と同等の物として特許出願され、特許されたものと認めるのが相当である。

(二) 成立に争いのない甲第五号証(社団法人日本化学会編「標準化学用語辞典」株式会社丸善平成三年三月三〇日発行)、甲第二七号証(右に同じ)、甲第二八号証(国際化学振興財団編「科学大辞典」丸善株式会社昭和六〇年三月五日発行)、甲第二九号証(「岩波理化学辞典 第3版」株式会社岩波書店昭和四六年五月二〇日発行)、乙第三号証(化学大辞典編集委員会編「化学大辞典 2」共立出版株式会社昭和四四年七月二〇日発行)、乙第四号証(「岩波理化学辞典 第4版」)によれば、「塩」とは、酸と塩基との反応によって生ずる化合物で、塩基の陽性成分と酸の陰性成分とからなるものであること、多塩基酸又は多酸塩基の塩には、置換又は中和が完全な「正塩」、酸の置換可能な水素が一部残っている「酸性塩(水素塩)」、塩基の置換可能な水酸基が一部残っている「塩基性塩」があること、水が他の化合物とさらに結合して生じた形式の化合物を「水和物」といい、塩類の水和物を「含水塩」ともいうこと、含水塩は「結晶水を含む塩」とも定義されていること(乙第三号証)、水和物は、化学式中に含まれる水分子の数に応じて一水和物(一水塩)、二水和物(二水塩)などとよばれていることが認められる。

また、成立に争いのない乙第五号証によれば、化学大辞典編集委員会編「化学大辞典 3」(共立出版株式会社昭和四四年七月二〇日発行)には、「酢酸ナトリウム」の項に、「製法 酢酸を水酸化ナトリウムまたは炭酸ナトリウムで中和するか、酢酸カルシウムに硫酸ナトリウムを加えて口過し、口液を蒸発すると三水塩が結晶する。無水塩は三水塩を一二〇~二五〇度で脱水してつくる。性質 無水塩は白色の結晶塊で単結晶系。・・・三水塩は・・・無色単斜晶系の柱状晶で・・・脱水して無水塩となる。」と、「酢酸鉛」の項に、「無水塩のほか三水塩、十水塩が知られている。・・・製法 酸化鉛IIを温希酢酸に溶解させて冷却すると、大きな三水塩の結晶が析出する。これを徐熱すると無水塩となる。この方法は工業的製法としても使われている。性質 無水塩は白色結晶・・・三水塩は単斜晶系の無色の結晶。・・・加熱すると・・・水を失って無水塩となる。」とそれぞれ記載されていることが認められる。成立に争いのない乙第一七号証によれば、同委員会編「化学大辞典 9」には、「硫酸アルミニウム」の項に、「製法・・・工業的にはボーキサイト、粘土などを硫酸で処理し、まずケイ酸を除いてからヘキサシアノ鉄酸塩、炭酸カルシウムなどを用いて鉄を除いたのち、硫酸アルミニウム十八水塩・・・を結晶させてとる。・・・無水塩をつくるには十八水塩、または硫酸アルミニウムアンモニウムを加熱脱水する。」と記載されていることが認められる。すなわち、「酢酸ナトリウム」、「酢酸鉛」、「硫酸アルミニウム」といった「塩」の項目において、それぞれの「含水塩」、「無水塩」の製法、性質が説明されていることが認められる。

右認定の事実によれば、「塩」は結晶水の有無によって水和物(含水塩)と無水塩に分けることができ、含水塩、無水塩というのは、結晶水の有無によって区別される、「塩」としての存在形態であると認められ、また、含水塩から無水塩を得るには、含水塩を加熱脱水する方法が採られていることが認められる。

したがって、「塩」という語は当然に無水塩に限定されるものと解することはできない。弁論の全趣旨により成立の認められる甲第三〇号証(北里大学名誉教授小倉治夫作成の意見書)には、「塩」といえば正塩の無水塩を指すものである旨の記載があるが、右認定の事実に照らして採用できない。

(三) 右(一)、(二)に認定、説示のとおり、本件特許発明における置換フェニル酢酸誘導体の「塩」は、薬理上許容される塩の形という限定が付されているにすぎず、本件特許発明の対象である化学物質が有する抗炎症、鎮痛及び解熱作用といった医薬としての有用性は、特許請求の範囲において特定された置換フェニル酢酸誘導体の部分に存し、右誘導体の塩は薬理上許容されるものであること、すなわち塩であることによって右誘導体が有する薬理効果自体に影響を与えるものではないとの前提のもとに、本件特許発明における置換フェニル酢酸誘導体の塩は、置換フェニル酢酸誘導体と同等の物として特許出願され、特許されたものと認められること、酸と塩基との反応によって生ずる化合物である「塩」は、結晶水の有無によって含水塩と無水塩に分けることができ、含水塩、無水塩というのは、結晶水の有無によって区別される、「塩」としての存在形態であること、したがって、「塩」という語は当然に無水塩に限定されるものではないことに加えて、本件特許明細書には、薬理上の効果の点から塩の水和物(含水塩)は含まないものであることを窺わせるような記載はないこと、前記甲第三〇号証によれば、無水塩と含水塩とでは薬物自体としての活性は同等であると認められることを総合すると、本件特許発明における置換フェニル酢酸誘導体の「塩」は含水塩及び無水塩の双方を含むものと解するのが相当である。

3  右1、2によれば、ロキソプロフェンナトリウムの含水塩であるイ号物件(ロキソプロフェンナトリウム二水和物)は、本件特許発明の特許請求の範囲に記載された一般式を有する置換フェニル酢酸誘導体の塩に該当し、本件特許発明の技術的範囲に属するものであると認められる。

4(一)  控訴人は、特許庁が定めた「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」には、物質特許について、明細書において、新規な化学物質が化合物名または化学構造式により特定して記載されることなどが必要であるとされており、物質特許である本件特許発明は、右運用基準を参照して検討すべきであるところ、酸と塩基の反応で生成する塩は無水物が主体であり、塩の水和物が生成することはむしろ例外的であるというのが当業者の技術常識であり、このような技術常識からすると、置換フェニル酢酸誘導体という酸と塩基性物質とを反応させて生成せしめた塩とは、無水物のことをいうものと解するのが相当である旨、そもそも本件特許明細書の発明の詳細な説明には、ロキソプロフェンナトリウム二水和物についての具体的な記載は全くないし、この物質が同定できるような資料の記載も皆無であって、ロキソプロフェンナトリウム及びロキソプロフェンナトリウム正塩(無水塩)とは別物質、別化合物であることに疑いのないロキソプロフェンナトリウム二水和物が本件特許発明の対象物となるはずはない旨、前記運用基準中の「化学物質の発明とその単なる塩の発明とは、原則として同一とする。」との基準によっても、本件特許請求の範囲にいう「塩」とは「単なる塩」、すなわち無水塩のことを指し、塩の水和物を含まない旨主張する。

成立に争いのない甲第三号証によれば、昭和五〇年一〇月に特許庁が定めた「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」には、明細書の記載要領として、特許請求の範囲については、「化学物質は特定されて記載されていなければならない。化学物質を特定するにあたっては、化合物名又は化学構造式によって表示することを原則とする。」等の事項、発明の詳細な説明については、「化学物質は特定されて記載されていなければならない。特許請求の範囲に記載された化学物質全体が十分に裏付けられる程度に具体的に記載されていなければならない。化学物質が同定できる程度にその同定資料が記載されていなければならない。」等の事項がそれぞれ記載されていること、化学物質発明についての実体的判断の前提としての発明の同一性に関して、「化学物質の発明と、その単なる塩の発明とは、原則として同一とする。」との記載があることが認められる。

しかし、右「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」は、昭和五〇年六月二五日に公布された「特許法等の一部を改正する法律」により新たに採用された物質特許制度及び多項制を適切かつ統一的に運用するために定められたものであって(甲第三号証の「はしがき」)、右記載事項も、出願の際の明細書の記載要領や、審査の際の発明の同一性判断の基準を示したものにすぎず、特許発明の技術的範囲を解釈するについての基準までをも示すものではない。のみならず、酸と塩基の反応で生成する塩は無水物が主体であり、塩の水和物が生成することはむしろ例外的であるというのが当業者の技術常識であること、及び、置換フェニル酢酸誘導体という酸と塩基性物質とを反応させて生成せしめた塩といえば、無水物のことをいうものと解するのが一般的であることを認めるべき証拠はない。また、成立に争いのない甲第四号証によれば、社本一夫著「物質特許・多項制-その理論と運用-」(株式会社化学工業日報社昭和五一年二月二七日発行)には、前記発明の同一性の基準についての説明として、「これは、有機塩基(酸)が酸(塩基)と作用して塩を生成することは塩基(酸)そのもののもつ共通性のある性質で、化学者の常識に属することであるからである。」との記載があることが認められるが、これによっても、前記「単なる塩」が無水塩のことを指しているものとまでは認められない。

本件特許明細書の発明の詳細な説明には、ロキソプロフェンナトリウム二水和物についての具体的な記載はないが、同物質が本件特許発明の特許請求の範囲に記載された一般式を有する置換フェニル酢酸誘導体の塩に該当することは、前記3に説示のとおりである。

したがって、控訴人の右主張は失当であり、この主張を前提として、イ号物件は本件特許発明の技術的範囲に属しないとする控訴人の反論は採用できない。

(二)  控訴人は、被控訴人の、本件特許明細書の実施例1には「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」が製造されていることが記載されている旨の主張に対する反論として、本件特許明細書には、「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」の生成あるいは存在を示す記載は全くなく、同物質の化合物名ないし化学構造式を示す記載はもとより、同物質を同定できる同定資料あるいはその製造方法を示すものがないという事実は、特許出願人である被控訴人が、本件特許の出願時において、ロキソプロフェンナトリウム塩が安定した二水和物を形成することについて全くその認識もなかったことを示しているとして、実施例1の記載を根拠に「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」が本件特許発明の技術的範囲に属するものとすることはできない旨主張している。

しかし、前記1ないし3に認定、説示のとおり、「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」が本件特許発明の技術的範囲に属する物質であることを認め得るのは、実施例1の記載を根拠とするものではない。

そして、前記2(一)に認定の本件特許明細書の記載内容、及び同(二)に認定のとおり含水塩、無水塩というのは結晶水の有無によって区別される、「塩」としての存在形態であること、本件特許明細書には、薬理上の効果の点から含水塩は含まないものと窺わせるような記載はないことなどからすると、本件特許発明における置換フェニル酢酸誘導体の「塩」として含水塩を排除しているものとは認め難く、本件特許明細書に接する当業者は、本件特許明細書にはロキソプロフェンナトリウムの含水塩も開示されているものと認識することができるものと認められる。したがって、仮に被控訴人が、本件特許を出願した当時、「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」の生成・存在を具体的に認識していなかったとしても、そのことを理由に、本件特許発明の特許請求の範囲における置換フェニル酢酸誘導体の「塩」が無水塩に限定され、イ号物件が本件特許発明の技術的範囲に属しないものとすることはできない。

(三)  控訴人は、「ロキソプロフェンナトリウム無水物」は「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」と物性が違い、薬剤としての製造、使用を考慮すると、両者は実質的に同一とはいえない旨主張する。

原本の存在及び成立に争いのない甲第二一号証及び成立に争いのない乙第一号証、乙第二号証によれば、ロキソプロフェンナトリウム二水和物を有効成分として含有する被控訴人の製剤(ロキソニン)は、人体内においては、ロキソプロフェンとなって消化管から吸収され、その後活性代謝物〔trans-OH体(SRS配位)〕に変化して、抗炎症、鎮痛及び解熱作用を示すものであり、本件特許発明の対象物質の医薬としての有用性はすべて具備しており、そのカタログ及び医薬品インタビューフォームにおいては、医薬品としての用量を、無水物としての質量に換算して表示していることが認められる。

右事実によれば、ロキソプロフェンナトリウムが無水物であるか二水和物であるかは、抗炎症、鎮痛及び解熱作用という医薬としての効能には影響しないものと認められ、医薬としての観点からみるとき、「ロキソプロフェンナトリウム無水物」と「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」を、異なる化学物質として取り扱う理由はないというべきである。

もとより「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」と「ロキソプロフェンナトリウム無水物」とは異なる物質であるから、前記のような抗炎症、鎮痛及び解熱作用という薬効それ自体に影響を及ぼさない物性に差があることは当然予測されるところであり、そのような相違に由来して、製剤化の容易性等について両物質に差異があるものと考えられるが、そのようなことは、右両者が本件特許発明の対象物質であるロキソプロフェンナトリウム塩に該当するか否かを考える場合に問題とならない事項であることは明らかである。

(四)  控訴人は、無水物の記載のない基本特許と、その五水和物の特許を有する特許権者が、五水和物を医薬品として製造、販売している事例において、両特許について存続期間の延長登録の出願がされたのに対し、特許庁が、五水和物の特許についてのみ存続期間の延長登録を認めた判断は、本件で問題となっている「ロキソプロフェンナトリウム無水物」と「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」とが明らかに別物質であり、後者は前者の特許請求の範囲に含まれないことを示すものである旨主張する。

しかし、特許発明の技術的範囲は、明細書の記載内容、当該技術分野における公知の技術等を斟酌して、個々具体的に解釈、判断されるべき事柄であって、存続期間の延長登録に関する事例において示された特許庁の判断が、本件で問題となっている、「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」が本件特許発明の対象物質であるロキソプロフェンナトリウム塩に該当するか否かといった判断の基準とならないことは明らかであって、控訴人の右主張は失当である。

5  以上のとおりであるから、イ号物件である「ロキソプロフェンナトリウム二水和物」は、本件特許発明の技術的範囲に属するものと認められ、控訴人がイ号物件を含有する原告製剤を製造、販売する行為は、本件特許権を侵害するものであるから、被控訴人は控訴人に対し、原告製剤の製造、販売の差止請求権を有するものであり、本訴抗弁は理由がある。

三  反訴請求原因について

1  被控訴人は本件特許権の特許権者であること、本件特許発明の特許請求の範囲、及び、イ号物件が本件特許発明の技術的範囲に属するものであり、控訴人がイ号物件を含有する原告製剤を製造、販売する行為が本件特許権を侵害するものであることは、前記一、二に説示したとおりである。

そして、控訴人は、本件特許権の侵害行為について過失があったものと推定される。

2  被控訴人主張期間の原告製剤の販売価格が一錠あたり一五円であること、その利益率が二〇パーセントであることは当事者間に争いがなく、また、控訴人が平成六年一〇月一日から平成七年二月一三日までの間に販売した原告製剤の数量は一五八五万八〇〇〇錠の限度で当事者間に争いがない。

右当事者間に争いがない販売数量以上に、原告製剤の販売数量を認定するに足りる証拠はない。

したがって、控訴人が、原告製剤を販売することにより得た利益は、右販売数量に販売価格及び利益率を乗じた四七五七万四〇〇〇円であると認められる。

また、被控訴人が、ロキソプロフェンナトリウム製剤につき昭和六一年に製造承認を取得し、商品名「ロキソニン」として製造、販売していることは、当事者間に争いがなく、被控訴人は本件特許権を業として実施しているものと認められる。

3  よって、控訴人が原告製剤を販売することにより、被控訴人が被った損害の額は、特許法一〇二条一項を適用して、四七五七万四〇〇〇円と推定される。

四  以上のとおりであって、本訴請求は理由がないから棄却し、反訴請求のうち、原告製剤の製造、販売の差止請求は理由があるから認容し、損害賠償請求については金四七五七万四〇〇〇円及びこれに対する不法行為の後である平成七年五月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却すべきであるところ、右と同旨の原判決は相当である。

よって、民訴法三八四条、九五条本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤博 濱崎浩一 市川正巳)

目録

左記化学式を有する2-〔4-(2-オキソシクロペンタン-1-イルメチル)フェニル〕プロピオン酸ナトリウム二水和物(一般名ロキソプロフェンナトリウム)

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